2021-04-21 第204回国会 衆議院 法務委員会 第16号
例えば、江戸時代でしたら、坂本竜馬や吉田松陰は脱藩で罪に問われましたが、今、高知から東京に来る、山口県から東京に来る、これで罪に問われる人は誰一人いないわけです。
例えば、江戸時代でしたら、坂本竜馬や吉田松陰は脱藩で罪に問われましたが、今、高知から東京に来る、山口県から東京に来る、これで罪に問われる人は誰一人いないわけです。
また、翻訳ではありますが、番組内で実際に使用された表現をかりると、戦犯国家の過去を消し去った世界文化遺産の登録、明治日本の産業革命遺産に同時登録された安倍総理の地元山口の松下村塾は、日本の軍国主義の出発点であり植民地支配と侵略の種をまいた、吉田松陰の弟子である大島義昌は安倍総理の高祖父であり、安倍総理の右傾化と軍事大国化は東アジア全体の二十一世紀にとって新たな災厄でしかないなど、日本国民としては怒りや
吉田松陰先生が好み、祖父の座右の銘であった「自ら反みて縮んば、千万人といえども吾ゆかん」。まさに、批判を伴う政策も、確たる信念を持ち、たじろがず、進めてまいりました。平和安全法制がなければ、現下の緊迫する北朝鮮情勢にしっかりと対応することはできなかったと思います。 今、改めて振り返ってみると、これまで、多くの方々に支えられてきました。
○藤田幸久君 長州の吉田松陰、水戸学を学ばれました。私は水戸の出身でございますが、水戸に参りまして、この吉田松陰、学ばれました。天下の先駆けという言葉がございます。その天下の先駆けということを一番実は志に描いて議員活動をやってきた人間が福島伸享衆議院議員でありました。私の中学と高校の後輩でございます。
例えば、幕末から明治にかけての人物では、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、こういった人たちの名前がばっさり削られているんですよ。そして、そのかわりに、考えさせる教育ということで、なぜか南京大虐殺、従軍慰安婦、基地反対運動、ベトナム反戦運動、戦時性暴力といった、こういう言葉を載せろという形になっているんですけれども、この高大連携歴史研究会というのはそもそも何であるのか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 小川先生ね、没後であればということを言うというのは、事実上、私はもう、私の生きている間はそれはあり得ないということであって、私の意思の及ばないときに誰かがつくられるということはまた別の話であって、例えば松蔭学園、吉田松陰先生の名前の松蔭学園というのがありますが、これは生前了解を取ったわけではありませんからね。
幕末の思想家であり、同時代の精神的指導者、教育者でもあった吉田松陰は、こうした地方の改革の積み重ねの大切さをこう表現しました。一人の策を積みて一家の策をなし、一家の策を積みて一国の策をなし、一国の策を積みて天下の策をなす。御努力これを祈る。
かつて松下村塾では、吉田松陰先生の背中を見ながら、自ら考え、皆で議論し、お互いを高め合っていくという、言わば背中の教育が実践されていました。私としては、文部科学省はもちろん、学校を始めとした日本中の文部科学行政の現場がそうした実践であふれ、人と知をつくることができるよう、文部科学行政全般にわたり、信頼の回復に努めつつ、諸課題の解決に全力で取り組む考えです。
かつて松下村塾では、吉田松陰先生の背中を見ながら、みずから考え、皆で議論し、お互いを高め合っていくという、いわば背中の教育が実践されていました。私としては、文部科学省はもちろん、学校を初めとした日本じゅうの文部科学行政の現場がそうした実践であふれ、人と知をつくることができるよう、文部科学行政全般にわたり、信頼の回復に努めつつ、諸課題の解決に全力で取り組む考えです。
やはり偉人である、例えば吉田松陰先生とかのお名前を、新渡戸稲造先生とかのお名前を冠にするのは当然、当たり前のことでありますが、安倍晋三先生は、その当時、第一次安倍内閣を降りられて一衆議院議員でございましたのでね。
し上げたんであって、そこで、反復練習というのは、記憶力を強化する、こう思いがちなんですが、実は想像力と思考力を伸ばす、これは教育再生委員会の陰山先生がおっしゃっていて、反復練習を、この中で土堂、この中で、この答弁は割と私の答弁の中では長い答弁だったんですが、言わば土堂小学校の反復練習……(発言する者あり)これ大切なところですから、土堂小学校の反復練習とか、あるいはこれは萩の明倫館小学校で、これは吉田松陰先生
この安倍晋三記念小学校ということについては、まだ私現役だし、そもそも死んでいないんだからということは、まあこれは向こう側にも、冗談としてまず向こうに言いつつ、かつ私の趣味でもないので、例えば吉田松陰……(発言する者あり)済みません、今後ろから趣味という、なぜ趣味かという質問がございましたが、このなぜ趣味か、なぜ趣味かということは、これは、これは感性の、感性の問題ですから、そういうふうに御理解をいただきたい
記念小学校というと、何かもうこの世から去った人物のような私も印象を受けましたので、それは、そもそも記念小学校ということと、例えば建物でも何でも、私の名前を付けるということは私の趣味でもございませんし、そもそも私はそういう考え方は全くございませんよと、何か記念小学校ということであれば、私の地元の例えば偉人の吉田松陰記念小学校とかそういうことを考えられたらどうでしょうかと、私はまだ政治家を続けていくし、
であるから、私は、もしそういう名前をつけられるのであれば、例えば私の地元の偉人である吉田松陰小学校とかいうことがいいのではないですかと。私も完全な人間ではないので、私の身に何があるかわかりませんから、これは絶対にやめてもらいたいということを実は再三申し上げているわけであります。
私はまだ現役の国会議員だし、総理大臣はやめたけれども、この先全く、もう一回復帰することを諦めたわけではないので、まだ現役の政治家である以上、私の名前を冠にするというのはふさわしくないし、そもそも、私が死んだ後であればまた別だけれども、何かそういう冠をしたいというのであれば、私の郷土の大先輩である例えば吉田松陰先生の名前とかをつけられたらどうですかというお話をしたわけでございます。
この杉道助は総理の御地元山口県の出身でございまして、吉田松陰のお兄さんのお孫さんに当たる方でございます。戦後、壊滅的な打撃を受けた我が国経済を立ち直らせる上で、大阪の経済界は杉道助を先頭に、いち早く海外との取引と自由貿易の促進に、重要性に着目をしてジェトロの前身を立ち上げたわけでございます。
行動によって風景を一変させるという高杉晋作の行動は、まさにこの吉田松陰先生の猛を発するということに尽きると思います。 総理、今回のプーチン大統領との会談で、人生二十一回猛を発すると決められた吉田松陰先生の残されたうちの一回を是非とも発していただきたい、そのように思いますが、総理、一言思いをよろしくお願いいたします。
改めて、福島は教育旅行の聖地だということで、特に私の地元は古く日新館というのがあって、これは小泉さんのときに新潟の米百俵の話がありましたけれども、もうそれより以前に、藩の財政が厳しいときに、全部コストカットするけれども、逆に藩校を建てて教育をちゃんとやらなきゃいけないということで日新館をつくって、かの長州の吉田松陰でさえ視察に来ている。まさに教育の聖地というのは昔からあったわけです。
昨年二月の施政方針演説で、総理は、御地元、長州山口出身の吉田松陰先生の「知と行は二つにして一つ。」という言葉を引かれ、「成長戦略の実行。大胆な規制改革によって、生産性を押し上げ、国際競争力を高めていく。オープンな世界に踏み出し、世界の成長力を取り込んでいく。なすべきことは明らかです。要は、やるか、やらないか。」だと述べられました。
山崎議長の座右の銘は、地元福井の賢人松平春嶽ではなく、吉田松陰の言葉ということです。至誠通天、至誠天に通ず、この言葉は座右の銘にしたい四字熟語の第五位です。冗談かと思いました。誠実に努力をすれば天も味方をしてくれるということでしょう。裏を返せば、誠実さに欠ければ天も見放すということです。 当然、議長も御存じでしょうが、松陰の言葉を二つ贈ります。